優生思想について思うこと

社会について思うこと

少し重たい内容ではありますが、優生思想について思うことを今日は書きたいと思います。

記憶に新しい相模原の障害者福祉施設殺人事件を覚えていますか?

犯人の言い分はざっくりいうと
「障害者は皆の税金を食い漁り、何も生産をしない足手まといだから、社会のために自分が抹殺した」という事件です。

犯人は逮捕されたあとも自分はあたかも社会のヒーローであるかのような振る舞いをして、社会を震撼させましたよね。

この犯人のように社会に役立つものは優れたものであり、そうでないものは優れていない=社会に不必要という考えを「優生思想」といいます。

歴史をさかのぼると
例えばナチス・ドイツの場合は、
T4作戦といって障害者や精神疾患を持つ人々を「生命の価値がない」と見なし、組織的に推定20万人以上を殺害しました。
また、有名なホロコーストという政策によってユダヤ人などを差別し大量に虐殺しました。

こういったことが起こる背景にはやはり国民の貧しさであったり、社会への不満が温床としてはびこっているからだと思います。

最近の日本でも物価高の影響を受ける中で、実質賃金は上がらず下がり続けています。
ワーキングプアと呼ばれる若い人達が増え続けています。
20代の平均貯金額は約185万円、中央値は約20万円と言われています。
障害者の方が経済的に豊かな状況であるということも事実存在していると思います。

このような社会情勢が続くと「優生思想」が広がってしまう可能性が高く、結果全員が安心して生きていく基盤が揺らぐのではないかと僕は危惧しています。

相模原の殺人事件の犯人は獄中で下記のように発言していたようです。

人間として70年養う為にはどれだけの金と人手、物資が奪われているか考え、泥水をススり飲み死んで逝く子どもを想えば、心失者のめんどうをみている場合ではありません。
心失者を擁護する者は、心失者が産む“幸せ”と“不幸”を比べる天秤が壊れて、単純な算数ができていないだけです。(中略)目の前に助けるべき人がいれば助け、殺すべき者がいれば殺すのも致し方がありません。

彼の発言の真意としては福祉に投下するコストが見合っていない、もっと他にお金を使うべきだということのなのだと思います。

でも、このように人を経済的な指標だけで数値化し生産性や効率性だけで語るのはおかしいと思います。
ましてや、自分が明日障害者という立場になるかもしれないし、自分の家族が障害者になるかもしれない。
優生思想が広がれば安心して子どもを産むことができない世の中にもなるでしょう。

めぐりめぐってこのような考えは経済的指標においても非合理な考え方だと僕は考えます。

こういった思想の影響力を防ぐために国家レベルでは教育や法的対策/福祉政策の強化が必要だと思いますが、私たちができることはなんでしょうか?

今、私たちは就労支援という仕事をしています。
ですので、就労支援を通じて障害者の社会への貢献を見える化したいと僕は思っています。
当然、障害が重たい人の中には仕事に就くことが難しい人もいます。
しかしながら、少しでも我々が貢献できる範囲で就職者を輩出し納税者を増やしたい。
福祉コストは経済的に見合わないといった誤解を少しは軽減できるのではないかと思います。
そして我々の取り組みの成功事例がメディアや教育の場で紹介され、社会全体の意識が変わるきっかけとなると嬉しい。

この業界で一番になる。そして業界への影響力をつける。我々の基準が業界の当たり前になる。
我々がこの業界のルールとあり方をつくる。そして世の中をよくする。結果国民全員が安心して過ごせる世の中になる。

こういう意気込みで今日も仕事に向き合っていきたいと思います。

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