今月に入って直接的に利用者さんに対して支援をさせていただく機会が増えています。
それぞれの利用者さんと相対して、この仕事の意義深さや尊さを感じています。
一人一人の人生と向き合うこの仕事はお金では測ることのできない価値を感じますし、だからこそその価値の重たさも感じます。
今いるクルーの皆は私なんかよりもはるかに支援実行レベルが高いし、私が勉強させていただくことのほうが多いです。
どのように声をかければいいのか、どのように反応したらいいのか。責任感と緊張感を持って、日々仕事に向かわれている方もいらっしゃるでしょう。
そういった中で多数の利用者に溢れ、皆さんの日々の負担は精神的にも肉体的にも大きいと思います。
本当にいつもありがとうございます。
皆さんのおかげで救われている人は本当に数多くいます。
胸を張れる仕事を皆でできていることを誇りに思います。
さて、今日は「問題をテーブルにあげること」の重要性について綴りたいと思います。
仕事をする上で必ず問題は発生します。
問題が起きない組織は仕事をしていないと断定できるくらい、問題が起きるということは組織運営の前提条件です。
だからこそ、問題があることは悪いことではなく健全な状態であるということを皆さんには感覚として持っていただきたいと思っています。
大きな組織になればなるほど、自分が評価されることを優先し問題がないことを美徳とする傾向があります。
例えば大企業であれば、上司への報告資料はきれいなことばかりを並べて、あたかも何事もないような優秀さをアピールする人もいます。
さらに言うと、少し火種が発生したとしても自分で処理をしようと思い、その段階では周りに火種が起きたことを共有しません。
また、これくらいのことは自分というモノサシで見た時は問題でないだろうという自分基準で判断してしまい問題を潜在的に保有してしまいます。
我々はチームです。
チームとは一人で解決できない問題を解決し、掛け算のようにチカラを発揮します。
三人集まれば文殊の知恵ではないですが、一人で解決できないことは様々な人の経験や知恵を寄せ合ったほうがいい解決策が出るのです。
逆を返すと問題が潜在的な状態だとチームの足を引っ張ります。
問題が顕在化したときは、すでに解決することが困難なケースが多いからです。
何が言いたいかというと、われわれチームで仕事をする上では「問題をテーブルの上にあげること」これが正義であり美徳であるということです。
問題を顕在化させなければ、そもそも問題を解決することができません。
潜在的に、テーブルの上にあげない状態が続けば何も進展がありません。
問題をテーブルの上にあげる
それはユーザーのためでもあり、組織のためである。
極端なことを言えば、良い報告はいりません。
”悪い”と感情的に感じる内容こそ、ささいな火種でもすぐにテーブルにあげて、事象を顕在化させる。
これがものすごく大事であるということをユーザーのため、チームのために意識してほしい。
我々は「問題をテーブルにあげる」のが素晴らしく、チームプレイであると賞賛し、
全員の知恵を持ち寄って問題解決にあたる集団であるという組織文化を持ったチームでありたい。
とにかく自分のモノサシでは考えずに、「ユーザー目線、チーム目線でみたときに問題かもしれないとおもえることは積極的にテーブルにあげる」ことを大事にしていほしい。
その上で、自分なりの建設的な意見もセットで提案・発言してほしい。
問題をあげるだけなら、受け取る人の解釈によっては愚痴になる。
テーブルにあげるのは問題なのか、それとも批判なのか。
この線引きをしながら、批判なのであれば提案もセットにすること。
批判と提案は大人であればセットでなければなりません。
批判だけするのは子どもと同じです。
今日もありがとうございました。
おやすみなさい。
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